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Ⅲ成長期

 昭和50年(1975年)に後継社長として就任した大竹広明は、台風や地震、火災に弱い建物から災害に強い建物への変身を画策、ひいてはそれが荷主の信頼を増すために重要と考え一連の建物改築計画(チャレンジ計画)を始動した。

  同時に建物を新築するにあたり、倉庫にはこだわらずその立地を最大限に生かす用途にして、最大の付加価値を得ることを基本とした。

 また平屋建て倉庫を多階建てにすると面積が増える。寄託営業と賃貸営業とのバランスをどのようにとっていくかという課題に、現有社員数で管理できる面積は寄託営業を継続し、増えたスペースについては安定収入を得るために賃貸する方針を明確にした。

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浦和ビル

浦和の商業ビル浦和の商業ビル

 浦和営業所は、旧ミシン工場の建物を買収したもの。一部はそのまま倉庫に利用し、一部は倉庫に建て替え営業してきたが、昭和52年(1977年)地主から借地権と底地の等価交換方式による所有権取得を提案された。約3割の土地を地主に返還するのと引きかえに、残りの7割の土地の所有権を取得する提案に乗り、この土地における建物新築が可能になった。営業所開設当時は周囲に畑が多かったこの界隈も、この頃には住宅が増え、倉庫に出入りするトラックが周辺住民の迷惑になるとの苦情も寄せられ、倉庫移転の決断を迫られていた。

 わが国も急速な経済成長で首都圏の人口が急増、加えてモータリゼイションの伸張で、郊外型大型店舗の需要が高まっていた。浦和営業所はこのような大型スーパーの立地にふさわしく、5社ほどの全国展開チェーンから出店の申し込みがあった。会社では各社の条件を慎重に審査、加えて取引先銀行や、取引先荷主から強く押された長崎屋様を選定、手を組んで出店に向けて歩み出した。大型店の新規出店には二つの大きなハードルがある。ひとつは近隣商店街や地元商工会議所のOKをもらうこと。 もうひとつは近隣住民の同意をもらうことである。長崎屋浦和店の出店に際してはこの両方ともが大きな障害となった。特に近隣住民の反対は共産党をも巻き込んだ大きな運動となり、結局地上4階建ての計画のところ一層ずつ下げて、地下1階地上3階建ての店舗として昭和59年(1984年)7月に竣工、同9月に開店した。

板橋営業所板橋営業所

 なお店舗の建設にあたり昭和58年(1983年)7月板橋営業所を開設、浦和の荷主貨物を移転した。

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品川倉庫

品川営業所品川営業所

 昭和40年(1965年)当時、三信倉庫には多階建ての倉庫は品川営業所に1棟あるのみだった。その後各営業所で堅牢な建物に建て替えていったが品川の敷地内には2棟の平屋建て木造倉庫が残っていた。東京はビジネスゾーンが拡大し従来は倉庫街だった日本橋や芝浦にオフィスビルが進出、倉庫は港湾近くの埋立地に移転していた。三信倉庫ではこのような状況下、品川営業所の位置する天王洲は東京南部の物流最前線として機能するとの判断から、3階建ての旧倉庫に隣接して6階建て倉庫を建設することになった。この新棟は竣工直後から三井倉庫様、富士物流様そして寺田倉庫様といういずれも同業の会社にお貸しして現在に至っている。しかしこの地区が東京の物流最前線との読みは見事にはずれ、天王洲の再開発で島内は高層オフィスビルが林立し、将来、倉庫取り壊しの時には他用途への転換を余儀なくされている。

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公園ビル

公園ビル公園ビル

 芝浦は倉庫の街であるとともにオンワード樫山様の一大拠点でもある。オンワード樫山様から、隣接した三信倉庫芝浦営業所の土地建物を譲ってもらいたいとの交渉を何度か受けていた。しかし三信倉庫は当該土地の底地を取得していなかったため、近接の公園倉庫の取り壊しと、オンワード様仕様の建物の建設、賃貸を提案、これが受け入れられて昭和61年(1986年)7月、地上7階建ての物流ビルが完成した。

 建物は商品の流通管理を目的としているものの、事務量の増大に対処して、オフィススペースに転換できるような構造になっている。その目論見どおり、現在では4階から7階は事務所としてお使いいただいている。 取り壊した旧倉庫は埠頭公園の隣にあったので公園倉庫と名づけていた。新しいビルにも公園の名を残し、社内では公園ビルと呼称している。

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ループ

ループ左側ループX 右側ループM

 芝浦営業所は三信倉庫営業の発祥地でもあるが、土地が東京都からの借り物で、しかも1年毎の短期借地契約のため、恒久的建物が建てられないという悩みがあった。三信倉庫は早くから底地の払い下げを画策してきたが、敷地内に旧陸軍の鉄道敷設計画があり、このため東京都も独自に払い下げを決定することができなかった。旧陸軍の路線計画を受け継いだ国鉄(現在のJR)がせっかくの権利を留保していたためである。会社は昭和40年(1965年)ごろから毎年のように払い下げの陳情を行ってきたが一向にらちが開かない。結局昭和60年(1985年)に永年の努力が実り払い下げが決定、ようやく独自に建物を建設できるところまで漕ぎつけた。しかしこの頃は既に土地価格が高騰し、普通の倉庫では土地代まで回収するのは不可能な状況になっていた。そこで付加価値の高いオフィスビルの建築を決断したのである。

 総事業に占める土地代金の比率を少しでも薄めるため容積率限度一杯の建設計画を立てた。さらに港区では都心の定住人口増加政策のため、一定規模以上の開発には敷地と同面積の住居の付置義務条例を施行、芝浦でもオフィスの他に住居の併設を求められた。

 今回のプロジェクトは今までの建設とは規模が大きく異なるため、計画段階から賃借予約していただけるテナントとの契約を先行し、取引銀行からご紹介のあったリクルート様と手を結ぶことになった。敷地が鉤型で海に面していることから、眺望を生かしたオフィス棟とマンション棟の2棟を建設し、事務所と住宅という相反する使用勝手機能を分離することとした。設計は順調にすすみ、総合住宅設計制度による容積率の割り増し、さらに優良建築物に対する港区の補助金制度にも合致することがわかり、早速申請した。ところがこのときあのリクルート事件が発覚、政界、財界を巻き込んだ大事件となった。もちろん三信倉庫はこの事件には無関係で正々堂々としたものであったが、一部の新聞にあらぬ疑惑を書き立てられ、港区も万一世論の反発を買うのは得策でないとの判断から、三信倉庫に補助金申請の取り下げを行うよう要請があった。会社はやましいところがないのでそのまま放っておいたら、いつの間にか申請人(三信倉庫)自らが取り下げた形になっていた。またこの間、総合住宅設計制度が緩和され、さらに6階分ほどマンションが建て増しできる見通しが立ったので、建築時期を1年間ほど遅らせて地上18階建てのマンションが完成した。

品川埠頭出張所品川埠頭出張所

17階建てのオフィス棟は基準階300坪の無柱空間を実現し、インテリジェントビルとして高機能を誇っている。たまたま建設計画中にレインボーブリッジが着工、完成した美しい吊橋はオフィスやマンションから見た東京港、お台場の景色に花を添えている。

 自然界のなかでもっとも完成された円。さらにいつまでも上昇していくイメージでこの地域開発をループと命名。レインボーブリッジ・ループ部分が目の前にあるため覚えやすく、皆様に親しまれている。「あらゆるものを創造する可能性を秘めたスペース」との意味を込めて、事務所棟をループX、マンションの頭文字をとって住宅棟をループMと名づけた。 なお取り壊した倉庫に保管していた貨物は品川営業所に移管したが、すべて収容しきれなかったので、品川埠頭内の新幹線高架線下の倉庫を賃借して、品川埠頭出張所とし現在に至っている。

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戸塚倉庫

戸塚倉庫戸塚倉庫

 ループの建設で、災害に弱い建物を耐久耐火性の強い建物に改築するチャレンジ計画は完了した。次にサテライト計画と銘打ち東京近郊に衛星(サテライト)状に物流拠点を配置していく計画を立案、その第一弾として横浜市戸塚区に売り物件として情報の入った倉庫を取得。現在でも当初からのお客様スリーエスサンキュウ様にお使いいただいている。建物は地上3階建て。今までの三信倉庫に多く採用されていた低床式とは異なり、長さ40メートルの高床式プラットフォームを設備、流通型倉庫の機能を発揮している。

 これまでは倉庫は中身が肝心とばかり、外壁への社名の掲示は積極的に行ってこなかったが、板橋、品川に続いて戸塚にも三信倉庫の社名を表示、東海道線、横須賀線から良く見える建物と社名は、会社名の浸透に大いに役立っている。

 サテライト計画についてはその後格好な物件がなく、積極的な展開はしていない。

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東京花き共同荷受㈱

城南島りゅ城南島流通センター

 大手建設会社から、生花の仕分け作業会社の移転情報が飛び込んだ。練馬に所在する東京花き共同荷受株式会社が東京都から立ち退き勧告を受けている。その代替地は大田区城南島だが、練馬と城南島では土地単価が倍も違い、移転しても土地の半分は使い切れないのでパートナーとなる物流会社を探しているというもの。今後の首都圏の物流を見据えたとき、羽田空港の北側に位置する城南島は是非進出したい地域。早速先方の担当役員と面談、提携に向けて漕ぎ出した。

 当方の思惑、先方の条件をつき合せていくうちに、双方の利益が一致するのは三信倉庫が東京花き共同荷受をM&Aすることとの結論に行き着いた。紆余曲折はあったものの平成7年(1995年)10月、無事株式譲渡契約書を取り交わし、三信倉庫のグループ入りをすることとなった。

 花の仕分け配送は主に夜の8時から朝の5時頃までの業務。倉庫の始業時には花の仕分け場は段ボール箱ひとつない広い荷捌き場となり、昼夜二業務を行えるところから倉庫の二毛作と命名、資産の有効活用に貢献している。

 1階は共用荷捌き場、1階の一部と2~4階は富士物流様、5階は三信倉庫城南島流通センターがそれぞれ保管庫として利用している。また品川営業所にあった三信運輸もトラックの増加に伴い拠点を城南島に移転、営業展開の幅を広げた。

 三信倉庫と東京花き共同荷受は組織上別会社であるが、事務所やコンピューターシステム、営業の共同化を推進し、相乗効果を高めている。

 外壁には緑と赤の巨大なリボンを描き、お客様の大切な商品を心を込めて丁寧に扱わさせていただく姿勢を表現した。

 また建物の上空は羽田空港へ離発着する航空機の航路となっているため、屋上に"Good Luck 三信倉庫"と大きく描き、運行の安全を祈るとともに、乗員や乗客に対し社名をアピールしている。

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