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Ⅰプロローグ

  三信倉庫本社応接室に一体の胸像と一枚の写真がある。どちらもこの会社の創業者大竹仙松を写しとったものだ。胸像は仙松51才、写真は76才のとき。25年の歳月は当然のことながら風貌を変化させたが、鋭い眼光は変わらない。

三信倉庫の歴史を語るとき、やはり事業欲旺盛なこの創業者に言及しなければならない。

明治32年(1899年)愛知県吉良吉田に生を受けた仙松は豊橋商業高等学校を卒業後、総合商社兼松の前身兼松商店に入社し、海外雄飛の夢を温めた。この夢は自身の肺結核発病のため断念せざるを得なかったが、病気治癒後、神奈川県川崎市で材木商を営んでいた兄を頼り上京したのが起業家としてスタートするきっかけとなった。

仙松は兄の仕事を手伝いながら事業資金を蓄え独立した。アパート経営、タクシー会社など順調に業績を伸ばしたが我国は太平洋戦争に突入、一時軍需産業にも手を広げたことがあった。戦後の復興期にいち早く不動産の将来性に着目、その後の三信倉庫本社の敷地となる東京駅前のセントラルビル用地を取得した。

一方、戦時中軍部の要請で芝浦の都有地に木造平屋建て17棟の倉庫を建設。陸軍の軍需物資保管のため賃貸することになった。

これが後の三信倉庫発祥の礎となるのである。

戦後の混乱期がようやく収まり人心に将来への希望がともされるようになった頃、セントラルビルの建設に着手。昭和26年(1951年)竣工した。

セントラルビルに事務所を構え、建設会社、ビル賃貸管理会社、宅地造成分譲会社、無尽会社、人造宝石会社、損害保険代理会社、マンション管理会社、ゴルフ場会社などを次々に設立、そのなかの一つが営業倉庫業の三信倉庫であった。これらの会社は事業として成り立たなかったもの、一定の成果をあげたのち清算したもの、現在まで存続しているものなどさまざまであるが、三信倉庫はこれらグループ会社の中核として育っていった。

仙松はただ事業のみを追い求める人物ではなかった。地球上から戦争を絶滅するという大志を抱き、昭和47年(1979年)には財団法人大竹財団を設立し、著書「平和へのライセンス」を上梓したり、市民運動を後援するロマンの人でもあった。

胸像の制作年はセントラルビルの竣工年にあたる。三信倉庫の設立はそれより4年のちとなるのだから、仙松の55才。旺盛な事業意欲から生まれた会社群としてはやや遅い旅立ちと言えよう。

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